数年前のある日のこと、私は午後2時に約束があったので、それまでぶらぶら歩いていたのですが、柳川交差点で地図のようなものを広げて困っている女子中学生(推測)3人組を発見したのです。
普段であれば横目で見ながら(雰囲気から困り具合を察して)大したことがなければ声をかけずに通り過ぎるのですが、かなり困っているように見受けられたので「迷子? 道に迷っとるん?」と声をかけたのです。
「迷子?」というのは、「はい」「いいえ」で答えられる質問なのです。 知らない人に声をかけられるのがいやな人が「いいえ、大丈夫です。」と簡単に断れるような聞き方にしたのです。
岡山駅から就実高校への経路 |
聞くと、3人の目的地は「就実高校」とのこと。 高校の案内のようなものを持っていたので、受験前の下見か、オープンスクールだろうと思い「何時までに行かないといけないとかありますか?」と聞くと、時間は決まっていない(遅刻しそうで焦っているという状況ではない)とのこと。
そこで道を説明しようとしたのですが、説明方法に困ったのです。
岡山の地理に明るい人に説明する場合は、「(現在地の柳川交差点から北を指しながら)まっすぐ進んで、番町の交差点(裁判所のある交差点)を右に曲がって少し歩けば、右手に見えます。」という説明でよいのです。 しかし、相手は柳川の交差点ですでに迷子になっていることからして地理に明るくない様子。 「番町の交差点」という目印で通じる感じはしないのです。 普通は交差点の信号に「番町」と交差点名が掲示されているとは思ったものの、この時点では確証がなかったのです。
右折地点の目印「裁判所」に 目立つ看板はない |
あるいは「裁判所が見えたら右に曲がってください」と説明したくても、初めての人が見た目で「裁判所」とわかる建物ではないのです。
かといって、「5分ほど歩いたら、別の人に(どこで右に曲がるべきか)聞いてください。」と説明したくても(現在地の柳川交差点は通行人が多いのですが)ここから北上する道路は車は多くても通行人はほとんど見かけないエリアなのです。
交差点名の表記は控えめ |
という考えが一瞬のうちに頭の中を巡って、結局「途中まで一緒に行きます。」と言って先導したのです。
傍目から見ると、「怪しい男1人」と「10mほど距離を空けて遠巻きに付いて行く女子中学生3人」という構図。 基本的にお節介な性格なので道案内をするのは苦ではないのですが、なんとなく不審者になったようで非常に気まずい。 後方からは「知らない男に付いて行って大丈夫? v.s. でも道が分からないから仕方ないでしょ!」という会話でもしているのかと邪推したくなるような不安な雰囲気が漂ってくる。
非常に長く感じた5分ほど歩いてようやく「番町」の交差点の1つ手前まで到着したので、次の交差点の信号を指しながら「あの信号のところを右に曲がってまっすぐ歩いたら、右手に見えるから」と説明して別れたのです。
別れる際に、表情がパッと明るくなって「ありがとうございました」と3人から口々に言われたのです。 別れた後「疑ったけど、変な人じゃなかった、いい人だった」という会話が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。
別れた後で急に不安になったことがあるのです。 女子中学生がこれを機会に「親切そうな人を疑うのは悪いことだ」とか「知らない人に付いて行っても大丈夫だ」などと考えるようになって危機感がない生き方をして、なんらかの被害に遭ったらどうしようという不安なのです。
今後とも、知らない人を無闇に信用せずに、気を付けて生きてもらいたいと思った昼下がりだったのです。