停止線を超えるのは危険である。 大型2種免許を取得しているバス運転手にこんなことを言うのは釈迦に説法のはずだが、私がよく見た具体例を解説してみようと思う。
バス停付近の横断歩道で頻繁に見かけた光景 |
右の図は私が10年前、朝の通勤・通学時間帯に、バス停付近の横断歩道で頻繁に見かけていた光景である(現在は私自身の通勤時間が変わったため自分では見かけなくなったが、おそらく状況は変わっていないだろう)。
朝、岡電バスがバス停で女性を降ろし発車~前方が赤信号だと分かっていながら停止線を超えて停車。 女性は横断歩道へ向かって、渡る。という光景である。
女性客の立場では、横断歩道に到着するギリギリまで、渡れるかどうか(信号が青かどうか)分からないでイライラする上に、自転車が近づいていることも分からない(原因は岡電バスの停車位置)。
[A] の自転車の立場では、女性が急に飛び出してきたように見える(岡電バスが停止線で停車していれば、急に女性が飛び出したとは感じない)。 ここで [A] の自転車がとれる行動は2択しかない。
つまり、(1) 岡電バスが停止線を超えて停車 → (2) 女性客が危険な目に合うかも → (3) [A]の自転車が危険を避けようとする → (4) [B][C]の自転車が危険な目に合う or 危険を避けようとする → (5) [B][C]の左右や後続の自転車が危険な目に合う という構図である。 単純化して書くと「(1) 岡電バスのせいで、(5) 自転車が危険な目に合う」ということである。 結局のところ、岡電バスが停止線を超えても、危険な目に合うのは岡電バス自身ではないという意識があるから平気で停止線を超えられるのだろう。
左の写真は、信号手前のバス停で乗降扱いをした岡電バスが、前方が赤信号だと分かっていながらわざと停止線を超えて停車している様子である。 運転手自身は、タイヤを停止線に合わせて交通ルールを守った気になっているのだろうか? 停止線に合わせるべきはタイヤではなく車両そのものである。
(注)交差点に進入しようとしたが黄色になったので停車したらやむを得ず停止線を超えた、という状況ではない。
さて、ほんのわずか停止線を超えただけでも、周りは迷惑である。
仮に、岡電バスの左前方に、右折したい車がいると仮定したのが右の図である。 停止線を超えた岡電バスの影響で、図の黄緑の車から、本来見えるはずの赤い範囲が見えなくなる。 岡電バスがほんのわずかはみ出しただけで、周りの視界は大きく変わるのである。
左は、横断歩道でよく見かける風景である。 岡電バスが横断歩道に進入して停車すると、隣の車からは歩行者が見えない。
このあと車が青信号になっても、隣の車の立場で考えると、視界が悪い状態でアクセルを踏むのは怖いことだろう。
停止線を超えるというのは、周りの歩行者・自転車・一般車の一人一人に不意に目隠ししていく行為であり、危険な行為である。