奈良時代に始まったとされる西大寺会陽(裸祭り)は、現代では毎年2月の第3土曜日に開催されているのです。今年も、今夜10時に投下される宝木(しんぎ)の争奪戦が行われるのです。
西大寺会陽(裸祭り)は、岡山市民である自分には幼い頃から馴染みのあるのですが、ふと疑問に思ったことがあるのです。
実は私は、学生時代に裸祭りの警備員のアルバイトで行ったのが最初だったのです。20歳を超えるまで行ったことがない裸祭りを、どうして幼い頃から知っていて、馴染みがあると感じていたのか。ちなみに岡山市以外の会社の同僚にとっては、裸祭りに身近な存在ではないようだったのです(いそあコラ第45回)。
そういえば、毎年、裸祭りの翌日には、新聞の一面に大きく写真が掲載されたと思い出したのです。というわけで、コンビニエンスストアで新聞を買い込んで、裸祭りの記事の量を見比べてみたのです。
地元岡山の「山陽新聞」の場合、1面トップの20%ほどを西大寺会陽の写真と記事が占めており(水色で囲んだ範囲)、宝木を獲得して福男になった人の名前も掲載されているのです。
男たちの写真には「投下された宝木を求めて手を伸ばす裸の男たち(18日午後10時すぎ)」と説明がついており、夜10時の宝木投下を過ぎてから撮影したものが使われているのです。
中面には関連記事として、宝木が投下される夜10時に向けて徐々に盛り上がっていく会場の様子(右ページ)と、会陽の伝統を中高生へ伝承する記事(左ページ上)、少年裸祭り(左ページ下)と、多彩な記事がカラー写真とともに掲載されているのです。
岡山市民はこれを見て、裸祭りを身近に感じていくのです。
「朝日新聞」の岡山版では、当然、一面トップを飾ることはないのです(下の写真:一面には会陽の記載なし)。
岡山面に、少年はだか祭りと、夜に向けて男たちを鼓舞する太鼓をたたく女性たちの写真・記事などが掲載(水色で囲んだ範囲)。
裸祭りそのものは、社会面に白黒で掲載。写真の説明は「本堂でひしめく男たち」となっており、午後9時31分(宝木投下前)に撮影されたものなのです。記事は、"宝木を手に境内を出た男が今年の「福男」になる。" という文章で終わっており、今回の福男が決まる前に締め切られた原稿だと想像されるのです。
「読売新聞」の岡山版も、一面トップを飾ることはないのです(下の写真:一面には会陽の記載なし)。
岡山面に、少年はだか祭りの写真・記事などが掲載(水色で囲んだ範囲)。
裸祭りそのものは、朝日新聞と同様に社会面に掲載。写真はカラーですが撮影時間は記載なし(18日夜とだけ記載)。写真の説明は「清めの水浴びをする男衆」となっており、本堂に入るより前の早い時間帯に撮影されたようなのです。
というわけで、自分が西大寺の会陽(裸祭り)を身近に感じていた原因は、主に、地元岡山の山陽新聞の影響だったのです。
と同時に、全国紙の新聞であっても、岡山版では(会陽のことを)もっと大きく扱っているかと思っていたので、意外に感じたのです。