第47回からのコラムで書いたとおり、今まで利用していたauから、格安SIMのUQモバイルに乗り換えたのです。そんなわけで、携帯電話がない時代に育った私が携帯電話を手に入れたきっかけと、私個人の携帯電話料金の変遷を書いてみたいと思うのです。
今回の記事は、学生時代の遠い記憶に基づいて書いていますので、多少、事実と異なる場合があります。
私が小さいころ(昭和の終わり頃)、電話と言えば固定電話だったのです。
ナンバーディスプレイ(かかってきた電話を出る前に、相手の電話番号を確認できるサービス)も存在しなかったので、電話をかけるときは名前を名乗るのが当然だったのです。一家に一台のため、岡山太郎(仮)さんに電話をかけるには、岡山さんの自宅へ「岡山さんのお宅でしょうか?」と電話をかけて、さらに「太郎さんはいらっしゃいますか?」と取り次いでもらう必要があり、岡山太郎さん本人以外の手をわずらわせるため、気軽に電話をかけることはできない代物だったのです。
平成初頭ごろには、一部で(会社の営業車などで)自動車電話が普及してきたようなのです。ある日電話が鳴って、当時は中学生ぐらいの私が出ると、「いま、どこから電話をかけているかわかる~? 自動車電話よ~。お母さんいる?」と話してきたことがあるのです。急ぎの用事だったわけではないけど、「珍しい自動車電話というものを使っているのよ!」というのが話のネタになる時代があったのです。
固定電話の場合は、電話がかかると家中のどこにいても聞こえる音量でベルが鳴るのです。だから、夜9時以後は電話をかけてはいけません。夜8時とかなら「夜分遅くに申し訳ありませんが、」と一言添えるというようなマナーがあったのです。 今でこそ、コンビニエンスストアの普及などで夜8時は外も明るいですが、昔は夜8時はスーパーマーケットも閉まって、外は真っ暗、実感としても「夜分遅く」だったのです。
あるいは、夜中に電話がかかってきたら、眠くても必ず出る!という意識があったのです。 マナー違反だと分かった上で、あえて深夜にかかってくる電話は、訃報とか、親戚が緊急入院したとか、よくない知らせだという感覚があったのです(さらにナンバーディスプレイがないため、電話に出なかったら誰からの電話か分からない)。
そういう時代に生まれ育ったため、結局、私は20歳を超えるころまで、携帯電話を持ったことがなかったのです。 ある日、家でゴロゴロしていると、家の固定電話が鳴り「デジタルツーカー中国」の携帯電話販売店の「広島営業所」から「携帯電話をプレゼントします」という用件だったのです。
基本的に怪しいセールスは無視してすぐに電話を切るのですが、そのときは気になって話を聞くと、「機種は2つから選べます」と言われ、そのうち1つが雑誌で見かけて興味がある機種(パイオニア製の、当時は珍しい全面液晶のタイプ)だったので、詳しく話を聞いたのです。 携帯電話を持ったことがなかったので、月額料金や通話料金などを詳しく聞いて、自分のアルバイト代で払える利用料金だと判断して、契約することになったのです。
その後、デジタルツーカーは、Jフォン、ボーダフォン、ソフトバンクと名前を変えていったのです(自分は途中でauへ移動し、最近、UQモバイルに移動した)。 ただし、このとき契約した電話番号は語呂がよく、気に入っているため、現在も同じ電話番号を使い続けているのです。
そんな私の携帯電話の月額料金の変化が次の感じなのです。
こうしてみると、格安SIMが安いというより、値段が、携帯電話が普及し始めた頃に戻っただけだなと感じたのです。
次回は、「キャンペーンのキャッシュバック5,000円を受け取った話」に続きます。